2018.01.30 ブログ
良いことをするのは恥ずかしい
数年前、ある地方の郊外のスーパーのレジで
ペットボトルの水を買おうと並びに行くと
「それ、ひとつ?お先にどうぞ。」
と、順番待ちをしていた女性が笑顔で
譲ってくれました。
何のためらいもなく、自然に、スッと
譲ってくれました。
お礼を言ってお先に通らせてもらいました。
モジモジせずにサッと笑顔で、素敵でした。
恥ずかしいな、とか、
かえって迷惑かな、とか、全く思っていない仕草。
靴を揃えることも、
お先にどうぞ、と譲ることも、
ゴミを拾うことも、同じだな、と。
とあるマンションのエレベーターに乗るとき
先に入った男性が、何も言わず、
スッと、レシートのような
丸めた紙ゴミを拾いあげ、持ち帰りました。
たった1つのゴミが無くなると
スッキリしたエレベーターの中。
レジを譲ってもらったときと同じ感覚です。
良いことをする、って、
単純に、心地良いだけでなく、
物事がスムーズに進んだり、
場が片付いたり、綺麗になったり、と
効率的な側面もある、と感じます。
・
安全な行動を取り続けていると
良い人ぶってるように見えたり、
正しい人っぽくしてるように見られたり
するときもあります。
その行動が、特段に「良いこと」と取られるのではなく、
「普通」になっていくと良いですね。
例えば、
狭い片側一車線の道路で、対向車が右折待ちで、その後続車にバスやトラックの大型車がいたら、
パッシングして譲ることだったり、
駐車場などのクルマの出入りがありそうな場所では、あらかじめ1台通れるだけの車間を
開けていることだったり。
そういうことを恥ずかしがらず、
普通だし、当たり前、って、行動するひとが
増えてくると素敵だな、と思います。
(森川 美希)